小学校3年生の死生観。どう伝える!?“生“と”死”。

突然ですが、皆さんは子供と“死”について話をしたことがありますか?

私は職業柄、看取りの場面に立ち会うことも多く、子供たちに早くから“死”について話しています。

特に第1子には3歳という早い時期から説明していました。

何でこんなに早くって思うかもしれませんが、何か起こってからでは子供に伝えられないから。

いつ何時何があるかなんて予測できないのに加え、“死”は誰も避けることができない、いつか訪れるものだから。

私はわりと昔から“死”について考えているたんですよね。

基本的にどんなに辛い人生でも『終わり良ければ全て良し』だと思っているので、死ぬときの感情は重要だと思っています。

自分の最後はできるだけ心残りの無いようにしたい!

そのためには“生”をどうしていくか考える必要がありますよね。

今一番不安なのは子供を残していくことです。

なので、生きているうちに子供にも“死”教えておきたい、知っていてほしいと思ったんです。

旦那がそういったことに無頓着だから余計不安なんでしょうね。

もしものときのために、残された家族が生きていくためにこれは必要なことだと思っています。

子供たちには

“死”は基本的に順番があること。

そして必ず全ての人に訪れること。

この二つをベースに話しています。

これは誰も変えることができない事実で、私にも子供たちにも訪れること。

そして、

「病気や事故で死んだ場合はたぶん神様が呼んだんじゃないかなぁ」

「死んだあとは空に行くらしい」と仮説を付け加えました。

もちろん、まだ死んだことがないので全て妄想の範囲。

そのあとは「わからない」ってこともちゃんと伝えています。

子供によっては怖がってはしまうこともあるので、伝える時期や伝え方は考えなければいけませんよね。

『生まれるとき』と『死ぬとき』が一番大変なことも伝えていますが、我が子は“死”に対して今のところ恐怖心は抱いていないようです。

子供が言うには、死んだら空に向かって階段をのぼっていく。

途中で階段が二つに別れていて、一つは地獄、もう一つは天国の入り口に続いていると。

そして、天国へ行く方は案内人が待っているそうなんです。

「ママが死んだら寂しいなぁ。悲しいなぁ。でも順番やからな。」

その通り!

順番になるよう、子供たちには私より長生きするよう念押し。

みかんのモットーは“自立”。

これが各々できれば誰に迷惑をかけることもなく、足を引っ張ることもなく生きていけます。

口で言うほど簡単ではないですが、自立を目指すのは良いことだと思うんですよね。

精神的だったり社会的だったり自立もいろいろありますが、全てじゃなくてもいいんです。

自立していなければ誰かを支えることも助けることも難しいです。

誰かを頼ったり甘えたりしてはいけないと言うことではないんですが、“あて”にして生きるのは止めてほしいんですよね。

人には向き不向きって物もあるから任せたり任せられたり、winwinの関係が成立すればそれでいい。

ただ、自分が頑張れる所を知っていてほしいと思っています。

まぁ要するに周りに生かせてもらうのではなく、『自分で生きてると思ってほしい』ってことなのかなぁ。

とにもかくにも、

私が居なくなっても世界は廻ります。

だから子供たちは生きてる以上は生きていかなければいけないんです

小学三年生の死生観

3歳から“死”について話をしてきた第1子が先日なかなかの爆弾発言をしました。

第3子が結核闘病中のため内服をしているんですが、

「産まれてこんかったらよかったのになぁ」って。

…!???

何てことを言うんだと思って、二度見ならぬ、二度聞きをしました。

「だって毎日お薬飲んで可哀想やん」

要約すると、「生まれてこなかったらそんな嫌な思いしなくて済んだのに」ってことだったんですよね。

小3の子供にとって、一年前まで居なかった赤ちゃんの存在がまたいない状態になる=『元に戻る』と同じことだったんです。

生きる幸せ薬を飲んでいるのが可哀想

「こんなにかわいいのに。

こんなに笑ってるのに。

これからもいっぱい楽しいことあるのに。」

そう伝えると

「生まれてきてよかったけど、でもやっぱり可哀想」

なんだって。

生きてるってことが当たり前すぎて、辛さの比重を大きく捉えてしまったらしいです。

まだまだ、先のことを考える力は乏しいですが、それでも第3子を思っての発言。

これはきっと、私が“死”について話したいたのに、“生”についてちゃんと話してなかったからでしょうか!?

なので、“生”をどう思ってるか聞いてみました。

その答えは、

「生きるって大変やと思う!!」

 

まさに!!

真剣な眼差しがちょっと笑えましたが、毎日の私を見てそう思っているとのこと。

自分のことを後回しに、子供たちの世話やらなんやらしていることを大変だと思ってくれていたようです。

小3にもなると口も達者だし、いろいろ問題はあるんですが、何ともまぁかわいいところがあると思いました。

生きることは大変やけど、でも生きていかなあかん!!」

こう言ってくれくれた我が子には、大事なことは伝わっているようです。

それならば、第3子が生まれてくれたのはすごいことで、生きているだけで意味のあることもあると伝えました。

まぁ第3子の病気について無知だったんで、若干発想がおかしくなったのは事実。

薬を飲んでても元気なこと、長生きできるんだとも付け加えました。

理解したかどうかは微妙ですけど…。

「でも、自分が死ぬ時はまたママに会いたいなぁ」

って。

私も同意見です!

我が子は純粋に“死”を理解しようとしています。

いざその時が来たら受け入れるなんて到底無理かもしれない。

ですが、私と話した“死”についてちゃんと記憶に残っているし、これからも“生きる”糧になると信じています。

そして、今私に何かあっても第1子が下の子供たちへ伝えてくれると思っています。

もちろん下の子たちへもみかん自身で伝えていくつもりですけどね。

まだまだ先かどうかはわかりませんが、確実に訪れる“死”。

誰も逃れることはできないんです。

通常の日々を送っていると、今生きてることを当たり前だと思ってしまうし、いつまでも続くと思ってしまいますよね。

『勉強しなさい、運動も大事』なんて思うけど、それだけじゃないってことを親も子供も理解しないといけませんよね。

死生観って人それぞれだし、正解はありません。

でも今生きてることが素晴らしいことなんだと思える人になって欲しいと私は願っています。

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