みかん
何となく“みかん”ってこんな感じの人って言うのが伝わればいいなぁって思っています。
みかんの生い立ち~学生時代
さすがに生い立ちまではいらんのじゃないかと思いつつ、たぶんココがベースになってるんで一応書いておきますね。
みかんは三姉妹の長女です。
完全に複雑な家庭環境やったってことが今ならわかります。笑
今で言うDV家庭やったんですよね。
私にとってここはパンドラの箱なんでフタをしたままサラッと流しますが、父が働かずその他騒動もろもろありました。
そのせいもあってか、親を『親』だと思えたのはまだ最近。
それまでは『親』じゃなくて『家族』…むしろ自分が『親』かもとさえ思ってたくらいです。
父が怖かったんで、家でも学校でもおとなしい子でした。
感情表現が苦手なんですよね、今でも。
『怒られること』と『注意されること』を極端に嫌う傾向があって、そうならないように行動していたように思います。
ただ高校生になって父と離れて暮らし出してからは、ちょっと変わりました。
今までの反動なんかわかりませんが『厳しいツッコミ』なる毒を吐くようになったんです(^_^;)
裏も表もバッチリあるAB型がここに現れてるのかもしれません。
まぁでも今は家族にしか言いません。
完全なる内弁慶ってやつです( ̄▽ ̄;)
高校生からバイトを始めて、学費もそこから自分で払ってました。
父は働いてないし、母も家計で手一杯なんで仕方ないですよね。
専門学校に行く頃には両親は離婚してたんですが、入学金が出せず祖母に泣きついて出してもらったりしたこともあります。
その後の授業料は奨学金とバイトで何とかやりきりました。
っていても後にまた奨学金で問題が発生するんですが…。
学校の話の続きですが、専門学校は欠点(60点)をとると追試を受けないといけないんですよね。
なんとそれにお金がかかるんです!
お金がかかるのはまずいってことで、欠点だけは採らんように気を付けてたのを、はっきり覚えてます。
就職してからもお金にはわりと苦労しました。
ここで出てくる先程の奨学金!
母に振り込みを頼んでたんですが、ほぼ返済されてなかったんです。
要するに使い込みですよね。
5年のうち1年ほどしか返してなかったようです。
もっと早く気付かへんかった私も私ですが、寮生活をしてたんで気付く術もなく、全くもって疑ってませんでした。
嘘つかれるのは許せませんよね(ꐦಠہಠ)
とか言いつつ全額お支払いしてまうんですけどね。これはたぶん対応を間違えた気はしています(;゙゚’ω゚’):
他にも妹二人の専門学校の授業料なんかもそこそこ出してきました。
って、こんなこと書いたら母も毒親みたいですけど、母に対して毒親やと思ったことは一度もないです。
ただ要領はよくない人やと思ってますけどね。
誰しも人生波瀾万丈なんかもしれませんが、私もなかなか苦労してきたんじゃないかと思ってます(((^^;)
ナースになった理由
ナース“みかん”って言っている以上、ナースになった理由も述べておきますね。
幼い頃から喘息でよく病院にかかっていたんですよね。
ちょっと優しくされたり注射するところを見たら、やっぱり子供は憧れるんです。
ただ、その時点ではただの憧れ。
最終的に決断したのは高校三年の夏でした。
決めるにはかなり遅い時期ですよね。
心理学を学びたくて、最後の最後まで悩んでたんです。
『情報会計科』っていう特殊な科にいたこともあって、5教科の授業時間が普通科よりも格段に少なかったんです。
大学受験は学力的にも金銭的にも厳しい…。
そんなときに担任から看護師になることを勧められたんですよね。
祖父が40代で寝たきり生活を送っていたことや、昔憧れていたこともあり、あっさり進路を変えました💦
「誰かの役に立てる仕事をしたい」って思ったんです。
でも、よく考えてみたら「誰かの役に立ちたい」訳ではなく「誰かに必要とされたい」。
要は自分の居場所や生きる意味を探していたんじゃないかって気付いたんですよね。
気付いたのは就職して2、3年目やったかな(-ω- ?)
勝手にナースは天職やと思ってました。
今は傲りやったと自覚してます 笑
職歴
始めての就職先はホスピス(終末期医療)病棟のある病院でした。
どうしても行きたかったんです!ホスピスへ。
これは私の死生観が大きく絡んでるとは思うんですが、看取りについてかなり勉強してたし、もっと勉強したいと思ってました。
1年目からホスピスに行けそうなお話も頂いたんですが、「まずは基礎看護を身につけてから」と何故か生真面目にお断りしたんです 笑
そして急性期内科病棟に配属!
これまた急性期と名前が付くだけに、人工呼吸器やら透析やら、ペースメーカーに化学療法…気の休まる日なんてあったもんじゃなかったです。
もちろんホスピスのある病院なんで、ホスピス待ちの患者さんが入院されることもありました。
いろいろ経験してからいつかホスピスに行けたらって思ってても、自分が1人前って思える日なんてそうそう来ないですよね。
どうやらタイミングを逃し、5年半ほど働きましたが、後輩指導やら結婚やらで結局行けず終いです。
まだちょっとだけ心残りではあります。
その後はすぐに夜勤のない特別養護老人ホームで6年勤めました。
特別養護老人ホームはほとんど残業もないしお給料も良くて、家庭を持ちながら働くにはよかったんですよね。
でもやっぱり物足りない。
『病院で働きたい』って思いが出てきて、転職を決意したんです。
転職後は、総合病院の外来で働くことになったんですが、いろんな科をローテーションするしくみで、内科・小児科・外来化学療法室をメインに働かせて頂きました。
現在
30代後半で旦那と子供3人の5人家族です。
幼少期の家庭環境の影響が大きいみたいで、子育てには悪戦苦闘しています。
ただそのおかげで平々凡々の幸せの有り難みが実感できています。
仕事は、長女の『小1の壁』にぶち当たったことで辞めてしまいました。
それについては後悔はないです!
今は憧れやった専業主婦(*´罒`*)ニヒヒ♡
みかんを他人から見た印象
生い立ちから職歴で何となくイメージできてるかもしれませんが、よく言われる印象も書いておきますね。
喜怒哀楽が他人には伝わりにくいようで、常に“平常心”だと思われることが多々あります。
お酒も飲めないんで、ハイテンションのノリに付いていくのはけっこう必死やったりします。
話はするのも聞くのも好きで、わりと年上・年下どちらかも慕われてるような気がします…たぶんですけど(〃゚艸゚)プッ笑
でもキャピキャピはできません( ´;゚;ё;゚;)
ママ友なんかのお付き合いが苦手で、ママ友さん達と群れれません。
ご挨拶程度に…って感じです。
だいたい休みの日や行事なんかは旦那と居ることが多いです。
おとなしそうに見られるのか声をかけやすいようで、道を聞かれたり、お爺ちゃん・お婆ちゃんから話しかけられたりします。
電車とかで飴ちゃんもらったりもします 笑
ブログを始めたきっかけ

2017.11~ ブログ開設。
ブログを始めたのは第3子の病気がきっかけでした。
私自身もたくさん検索したし、たくさん落ち込んだし、自分を責めたりもしました。
でも落ち込んでも責めても何の解決にも至りません。
子供のためにも、自分のためにも、今できることに意識を向けたいって思ったんですよね。
その中の1つがブログだったんです!
同じ境遇の人の参考に!
そして、力になれたら!!ってね。
みかん
いろんな病気の“怖さ”もそれに対する“不安”も、たくさん見てきたし感じてきました。
どんな病気にだって少なからず“怖さ”や“不安”はあるんですよね。
その怖さと不安を少しでも少なくできればいいな…ってことで応援する意味も込めてブログを書くことを決めました。
できるだけ簡単に、専門用語は使わずに書くことを心がけています。
わかりやすくするために私の経験してきた実例混じりで!
「1つでも役に立てることがあれば良し!」やと思ってます。
あと、育児についても悩みが尽きひんことを自ら経験し実感中です。
悪戦苦闘しながらでも学んだことが、「誰かの参考になるかもしれへん」と思って書き出しています。
『育児』は『育自』。
怒って、怒って、怒って…。
泣いて、笑って…。
日々奮闘中。いや、葛藤中💦
私の子育てのモットーは『自立』です。
子供たちに自分で考え、行動し、そして責任を持てる大人になって欲しいと思っています。
こんなみかんがブログを運営していきますので、ぜひいろんな記事を読んでみてくださいね!
みかん
サイトURL
- https://www.imadekirukoto.com/
※執筆環境も公開しました。
もしよろしければこちらの記事もご覧ください。
