子供が心配。ちょっとのことで不安になるのも母性だよ。

はっきり言って昔はあんまり子供がすきじゃなかった。

 

比較的物静かで内弁慶体質なみかんは、子供と接する時にどう自分のテンションを合わせていいかわからなかったから。

 

“母性”はあんまりないと思っていた。

 

でも、いざ自分の子供のこととなるどうやら“母性”が発動する。

ただ子供と楽しく遊べると言うことではなく、『すぐに不安になる』という何ともやっかいな発動の仕方。

 

端から見れば『そんなことで??』と思うかもしれないことで不安になるのだ。

 

どうにも一人では解消できず、悩んだ末病院に行ったこともある。

 

 

例えば…

第2子の“ほくろ”。

 

いつからあったかわからないけど、数ヶ月前から『ちょっと大きいなぁ』と気にはなっていた。

 

いつ計ったかはっきり覚えていないが、確か年末。

その時は3㎜以下だったほくろが、今は約4㎜。

 

2ヶ月ほどで1㎜でかくなってる…。

 

 

不安”は真実や結果がでるまで不安でしかない。

 

検索しても誰に何を言われても、解決するまでは不安なのだ。

 

と言うことで、幼稚園を休ませて皮膚科へ!

 

写真を撮られ、医師が一瞬凝視する。

そしてピンセットで端を詰まんで見て、

「これは良性です。」

 

 

何ともまぁあっさり。

 

切らなくていいの?

(目で)見ただけですけど…?

 

とは思いつつ、ひとまずホッとする。

 

自分自身も“ただのほくろ”とは思いつつも、一度疑うと疑念が晴れることなんてない。

 

いろんな患者を見てきた医師を信頼するしかないので、今回は様子見でよかったと思うことにした。

 

もし親指程の大きさになれば再度受診をするように促された。

親指程の大きさってかなり大きいんですけど…と思いながらも、今の倍くらいまでは様子を見ててもいいかなぁと自分を納得させる。

 

 

今回はただのほくろ。

でも子供の異常を見つけるのは親の務め。

 

身体的所見も、精神的所見も見逃さないようちゃんと子供を見る。

 

って私は見すぎかも知れないが。

 

子供を守りたいがために検索したり予測しまくっても、不安は次から次にでてくる。

 

そりゃ検索してホッとするとこもあるけどそれは稀。

 

だから一つ一つ不安を解消していくしかない。

目をつぶって見ないようにするという選択肢はないのだ。

 

余談にはなるが、子供が生まれてから自分の“死”についても不安でたまらなくなる時がある。

 

なるようにしかならないのはわかっている。

 

けど後悔しないように行動したい。

 

それは毎日を充実させるとかそんな意味ではなく、その時自分にできるベストな判断や行動をするということ

 

もちろん穏やかな日常であればのんびりしたりだらだらしてもいい。

 

ただ何かあった時に、

気付いていたのに…。

そう思ってたけど…。

 

なんて言うことがないように

見逃さない!

 

ただそれだけ。

 

全ては気付いたときから始まる。

そして、気付くためには四方八方アンテナを張り巡らせる。

 

みかんの育児はそこが基盤。

 

『かわいい』だけじゃ育児はできない。

『かわいい』と思うことだけが母性でもない。

 

 

優しくないけど、

すぐ怒るけど、

料理も嫌いだけど、

 

子供のことを思って不安になる。

 

これはまぎれもなく母性だと思う。

 

「何かに気付いた」から、もしくは「何かを気にしている」から不安になる。

気付かなかったり知らないフリをすることの方が大問題だ。

 

不安なのは、子供のことを見てるし考えてるってこと。

 

ただ、考えてるだけじゃ不安は不安のままだし、子供もそれを察知する。

 

不安になったら何ができるか考え、行動に移すことが大事。

 

もちろん『待つ』しかない場合もあるんだけど、でもその『待つ』ことも今できることの1つなのは間違いない。

 

一つ一つ不安と向き合って、少しでも楽しく育児をしよう。

 

『不安』welcomeとは言えないが、

『不安』は『母性の証』って言えたら育児もちょっと楽しくなる。

 

だから不安になっても大丈夫だよ!

 

って自分に自分で言い聞かせている(。・_・。)

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